PBJ-MM【出版】ベルクソン『物質と記憶』を解剖する

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ベルクソン『物質と記憶』を解剖する
―― 現代知覚理論・時間論・心の哲学との接続
平井靖史・藤田尚志・安孫子信 編
ポール=アントワーヌ・ミケル(米田翼訳)/三宅岳史/ジョエル・ドルボー(木山裕登訳)/藤田尚志/合田正人/スティーヴン・E・ロビンズ(岡嶋隆佑訳)/河野哲也/檜垣立哉/セバスチャン・ミラヴェット(山根秀介訳)/平井靖史/バリー・デイントン(岡嶋隆佑訳)/岡嶋隆佑/伊佐敷隆弘/エリー・デューリング(清塚明朗訳)/郡司ペギオ幸夫、書肆心水、2016年11月。
PBJホームページ内Bookセクションにて、編著者紹介(詳細版)をダウンロードいただけます。書肆心水ホームページ内特設ページにて、詳細目次・索引のほか、藤田尚志さんによる「はじめに」と平井による「序論」の一部を読むことが出来ます。平井の序論では、『物質と記憶』がとくに現今の状況での「解剖」の必要性について、できるだけ分かりやすく書いたつもりです。

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高校生にもわかるベルクソン『物質と記憶』

【福岡大学生向け告知】
1月10日火曜日4限の時間に、私が担当する文化学科の2年生のゼミで、後期の集大成として、期末発表会を行います。「高校生にもわかるベルクソン『物質と記憶』」と言うテーマです。4チームが各章ごとに15分ずつスライドを使って出来る限りわかりやすく発表します。哲学Bの授業の理解・試験の準備にもたいへん役立つと思いますので、時間が空いている方はどうぞご自由にご参加ください。もちろん参加無料、出入り自由です。

日時:2017年1月10日(火) 4限(14:40-16:10)

場所:2号館24E教室

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『現在という謎』シンポジウム終了

大変刺激的な研究会でした。
考えてみれば、時間の哲学をやっているものにとっては物理を学ぶことは「仕事」の一部な訳ですが、物理学者の方々にとって時間の哲学は本来の意味での「仕事」に含まれていない作業なわけで、にもかかわらず貴重な時間を割いてお付き合いいただいたばかりか非常にエレガントな発表をしていただけた谷村さんと大河内さんのお二方には、格別に感謝申し上げたい気持ちです。

谷村さんのウェブサイトで、執筆記事一覧を拝見して、多くの記事を読ませていただいていることに遅まきながら気づいたり。自分が授業でもよくする時計の計測が何をやっているのか問題——時間単位同士の等間隔は計測によるのではなく要請によるという話も、たいへんエレガントで参考になった。教科書的な話と謙遜されていたが、短い時間で古典物理から解析力学、熱力学、特殊相対論と、本質を流れるように押さえたプレゼンで、並大抵の包括力ではないことは素人でも分かる。やはり、気になるのが計測の基礎的なグラウンディングで等間隔の「知覚」に訴えることは、掘り下げて聞いてみたいところ。
大河内さんのスライドが動画満載なのに口頭の説明がそのタイムラインにドンピシャでハマっていくのに鳥肌ものだった。あんな授業してみたいけど、無理だろうな〜。いままでちゃんと考えたことがなかったけど、準安定状態。そんなものが純粋に物理的な状態のうちにあるわけで、この辺はベルクソン生きてたら何を言っただろう、と考える。これも時制ではなく相の話なはずで、相当面白い。

インド仏教の時間論が、まさかの現在主義+延続説など、こうした学際シンポならではの目から鱗の発見もありました。

佐金さんの現在主義がご著書を読んでいるだけでは見えなかった部分でかなりつかめたのは嬉しかった。変化の理論としての現在主義。ベルクソンの過去も現在と共存だから、この意味では現在主義になる。それでも違うのは、やはり本性の違い=ハイブリッド性か。純粋記憶。
森田さんの発表はまさに物理と哲学が半々入った議論で、さすが!
三宅さんの発表はプリゴジンとベルクソンとつなぐかなり重要なもので相当資料豊富で、殺意を感じた。時間のために4−2の時間の矢の多様性と、続く普遍性を飛ばされていたのが惜しまれる。

自分の発表準備の過程でも、色々と収穫があり。空間化批判では、持続のそれよりも「物質の空間化」批判の方が、〈持続の多元論〉や〈直接実在論(純粋知覚)〉そして〈時間化された汎心論(物質に持続を認める)〉を準備する相当に重要な役割を果たしているんじゃないか。本田裕志さんの本は非常に役立った。

また、PBJシンポでも触れたが、本性の差異っていうのが現実性/潜在性と未完了/完了では、また区分がズレるので、これら二つの二元論が混在している点をちゃんと見極めることが今後の議論にとって不可欠だという思いを強くした。課題が多い。どんどん進めなければ。
森田さん、提題者・コメンテーターの皆さんありがとう。
10月末に時間学研究所論文。
11月上旬にPBJのMMシンポ。
11月下旬に時間学研究所での発表、質的計測と時間クオリアについて。
そして12月この空間化シンポ。
全部大物だったので結構たいへんだったけれども、手は抜けなかった。面白い。

岡部聡夫訳『物質と記憶』(駿河台出版社)

2017/07/07追記:
出版後落手して、時間をかけて新旧版を比較してみましたが、かなりの変更があります。新版で施された改変は、私の目には正確さを不必要に犠牲にしているように見える箇所が多く、絶妙なバランスを実現していた旧版を惜しくも思います。

=====以下、元記事

ベルクソン 心と身体 物質と記憶力

悲願の復刊!!!!!すばらしいニュースだ。
逐語訳ではありませんが、深い理解に基づく、それゆえにたいへん読みやすい(!)訳です。
『物質と記憶』は主張が難解であるだけでなく、論争的な本でもあるので、段落内部・段落間の前後の文脈をしっかりとらえていなければとても読みにくい書物でもあります。この訳はその点で抜きん出ていると思います。非哲学・非ベルクソン研究者で『物質と記憶』を手に取られるすべての方にお勧めします。

※「逐語訳でない」というのは、哲学書の翻訳で通例なされる一対一の原語訳語の対応が固定されているタイプではない、という意味です。けっして抄訳ではありません、ちゃんとすべて訳出されています。

PBJ第8回シンポジウム終了

今年のPBJ(Project Bergson in Japan)「『物質と記憶』を診断する——ベルクソンと脳・時間・記憶の諸問題」が無事に終了しました。

『物質と記憶』を、現代の心身問題や時間論のなかで改めて吟味しなおすという意図で立ち上げたものではありますが、今回の発表・特定質問から、あらためて途方もない書物だという思いを懐かざるをえません。彼の認知・行動・記憶について脳科学との接続からより解像度の高い問題構造を析出しえたこと、彼の哲学の根幹に関わる概念や問いの立て方についての原理的・概念的な解明、現代倫理学や美的経験の時間論的構造にまでおよぶその射程、第二回目となる『物質と記憶』シンポジウムは、さらに多くの成果と課題をもたらしてくれたと思います。

ベルクソンの時間意識は現象学のそれとどう違うか。

ベルクソンはもちろん意識の問題を考えているわけですが、それが時間の問題を介して存在論化されているところが特異な点だと思います。そのためには、彼が「私の現在」「現在の厚み」と言っているときに、それがたんなるいわゆる心的な表象(複写的な)としてそういう時間を経験している、というのではなく、当該システムの現実の時間構造の変異をもたらしている、ということをしっかり概念的に整理する必要があり、これが現象学的な現在意識に還元できないことを示すためにも、デイントンの把持主義と延長主義の区別は決定的に重要なわけです。

フッサールは、意識内の過去把持・未来予持を語っても、明らかに「JetztPunktの移動」がスキームそのもののうちに前提されています。だから、幅があると言っても、それはJetztPunkt上の意識のうちに把持されたものとしての過去、となると思います。他方ベルクソンの「私の現在」が厚みを持つ、という議論は、数学的な瞬間をあくまでも理念的なものとみなすことから出発し、あくまでもその留保付きで、これにたいする直接的過去と直接的未来への浸潤という構図を描きます。

断定するには解釈の余地はありうるかもしれません。retenirという動詞をベルクソンも用います。それでも延長主義的側面があることは不可欠で、意識で時間を説明するのではなく、時間から意識の登場を説明するベルクソンにとって、第一級に重要な戦略であると考えます。

時間学特別セミナー 物語と時間

来週は山口大学時間学研究所主催の時間学特別セミナーで喋ります。

平井靖史「時間の何が物語りえないのか――ベルクソン哲学から展望する幸福と時間」

ちょっと立ち止まって、imprévisible rien (in 『思想と動くもの』、『創造的進化』)とは何かということを考えておきたいと思います。心で時間を説明するのではなく時間で心を説明するというロジック。あと、カーネマンを使って速さ逆転問題もベルクソンならどうなるかというのも論じます。時間の質的計測について。

http://www.rits.yamaguchi-u.ac.jp/?p=1533

 

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シンポジウム:「現在」という謎

「現在」という謎〜時間の空間化とその批判〜

というシンポジウムで提題することになりました。九州大学の森田邦久さんが主催。なかなか学際的なラインナップになってます。

僕自身は、ベルクソンが主張する、「運動は分割できない」って結局何を言っていることになるのか、あらためて考え直してみたい。

ポスター(PDFファイル)symposium_pos.jpg