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京都大学文学研究科にてライプニッツの集中講義

ライプニッツ解釈において、彼の哲学を決定論の一種と見なして済ます立場がある(Adams (1994), Griffin (2013)など)。ベルクソン『意識に直接与えられたものについての試論』も、一定の留保をつけつつも、決定論という言い方を用いている(拙訳、ちくま文庫、二三四頁)。

本講義では、自由の問題を、これと密接に関連する、連続創造説、協働説、予定調和説、さらにそこに胚胎されているライプニッツ固有の時間概念の観点から近年の諸解釈を検討しつつ再吟味する。最近刊行されたベルクソン『時間観念の歴史 コレージュ・ド・フランス講義』におけるライプニッツの扱いにも触れる。

自由、持続、時間、永遠、自発性、作者性、偶然性といった概念装置が近世の哲学においてどのように議論されてきたか、また現在どのような諸理論が提示され、それらの対立点がどこに存するかを理解できるようになる。

基本的には以下の計画に沿って進める。ただし、講義の進み具合などに応じて、扱う項目や順序等は変更する。

授業計画(仮)
第1回 イントロダクション:授業の進め方、文献の紹介、履修上の注意
第2回~第5回 ライプニッツと自由:モナドロジーの基礎、自由の四要素
第6回~第8回 デカルトとスピノザにおける自由:意志と行為と観念の観念
第9回~第12回 創造と同時性の問題:一挙性という時間
第13回~第14回 自発性・作者性・偶然性:時間と自由
第15回 振り返りと総括

日時:2019年8月
20日(火)10:30〜18:00
21日(水)10:30〜18:00
22日(木)10:30〜18:00
23日(金)10:30〜16:15

 

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生理研研究会2019 認知神経科学の先端「脳の理論から身体・世界へ」での口頭発表

生理研研究会2019 認知神経科学の先端「脳の理論から身体・世界へ」

公募講演枠に採択されました。そもそも「何かを再認すること」一般が、どのような時間的変形により可能になるかを論じる予定です。単なる類的識別から個物の同定(identification)まで。

  • 研究会日時: 2019年9月1日(日)15:00 ~ 9月2日(月)17:20
  • 受付開始: 2019年9月1日(日)は14:30開始。9月2日(月)は9:30開始。
  • 講演会場: 生理学研究所1F大会議室
  • 参加費: 無料 (Get-togetherとコーヒーブレークの実費を別途徴収します)
  • 提案代表者:島崎 秀昭(京都大学 大学院情報学研究科)
    所内対応教官:磯田 昌岐(生理学研究所 認知行動発達研究部門)
    世話人:吉田 正俊 (生理学研究所 認知行動発達研究部門)
  • 問い合わせ先:認知行動発達研究部門 吉田 正俊 (myoshi@nips.ac.jp)

https://t.co/MF7PKVCtSl?amp=1

『時間観念の歴史 コレージュ・ド・フランス講義 1902−1903年度』関連イベント第一・第二弾

  1. 「ベルクソン伝説の講義を語る」アンリ・ベルクソン『時間観念の歴史』刊行記念 トークイベント(藤田尚志×平井靖史)https://docs.google.com/forms/d/1SPR7cq4JoX5Xl1vw86DX7XvrmY3Zmbn5tzpqujfv0UM/viewform?edit_requested=true
    • 日時:8月2日(金)19:30~21:00(開場19:00)
    • 場所:本のあるところajiro(〒810-0001 福岡市中央区天神3-6-8 天神ミツヤマビル1B)
    • 参加費:1000円(1ドリンク込)
    • お問い合わせ:ajirobooks@gmail.com(担当:藤枝)
  2. 哲学と時間:ベルクソン『コレージュ・ド・フランス講義 時間観念の歴史』合評会
    • PBJ(Project Bergson in Japan)主催・日仏哲学会後援
    • 日時::9月6日(金)13:30~16:30
    • 場所:学習院大学 南3号館103教室
    • 書評者:納富信留(東京大学)・鈴木泉(東京大学)
    • 応答者:藤田尚志(九州産業大学)・平井靖史(福岡大学)

ベルクソン『時間観念の歴史 コレージュ・ド・フランス講義 1902−1903年度』書肆心水

藤田尚志・岡嶋隆佑・木山裕登各氏との共訳。新しく発見された口述筆記記録に基づく新資料。脂ののった時期のベルクソン本人の口から、生き生きと語られる「時間の哲学史」。訳しながら、なんども唸りました。こんな質の講義って、能力的な意味だけでなく不可能になってしまっている気がします。

コレージュ・ド・フランスの講義、しかも口述筆記からの再現なので、資料的にも内容的にも最高の状態。現時点で最高のベルクソン入門でもありますが、哲学史・時間の思想史に関心ある人は、みなさん唸ることになると思います。どこかで聞いたような既存の類品とはまったくちがう講義へ、ようこそ。

以下ツイッターより。

デイヴィッド・クレプス論集

デイヴィッド・クレプス(PBJ2016『診断』に登壇)編集による論集が近刊です。彼の序論(chap. 1 “Introduction”)と、平井のベルクソン論文(chap. 4 “Event and Mind”)が収められています。

2019年5月刊行予定。digitalevents.jpg

Kreps, D. (ed.)(2019) Understanding Digital Events : Bergson, Whitehead, and the Experience of the Digital, Routledge.

https://www.routledge.com/Understanding-Digital-Events-Bergson-Whitehead-and-the-Experience-of/Kreps/p/book/9780367144463

デジタルデバイスが人類史上未経験の速度で天然の感覚器官を拡張しつつ人間経験の質を書き換えているなかで、それらの課題に、ベルクソン・ホワイトヘッドの出来事存在論をベースに、多角的・学際的に取り組む論集。

技術哲学、現象学だけでなく、UI/UX、デザインなどの具体的な専門家も入ってるのがポイントで、僕自身シンポジウム当日はすごく勉強になりました。デジタル・テクノロジーが変容させていく人間経験、実在のバーチャルについて何かを考える人にとって刺激的な論集になっていると思います。

執筆陣も豪華。 Society for Philosophy and Technology議長のMark Coeckelbergh、デュランデュランのジャケットも手がけたデザイナー、マルコム・ギャレット、Centre for Computing and Social Responsibility (CCSR)代表Bernd Stahl、UX研究者のBush & Buie、現象学のTina Röckなど。

https://twitter.com/hiraiyasushi1/status/1115090507561033728

Macでウィンドウをキーボードショートカットで整理する

でかいmacは画面広くていいんだけど、左右2画面、3画面に分割して仕事することが多いから、そのつど手動でウィンドウをちまちま動かしているのが面倒だなと思っていた。

アップルスクリプトを、automatorからサービスとして登録して、OS標準のキーボードショートカットって呼び出すという解法を紹介します。手順は以下。

  1. ウィンドウを揃えるスクリプトを入手。
  2. automatorに貼り付けて、サービスとしてシステムに登録。
  3. システム環境設定のキーボードから、(グローバルな)ショートカット割り当て。

1 スクリプトの入手

前面ウィンドウをスクリーンの半分のサイズにして左半分⇒右半分にトグル配置してくれるスクリプトが、以下で配布されている。すばらしい。ありがとうございます。

二分の一もいいけど三分の一も欲しいので、これを改変して作った。

2 サービスへの登録

  1. Automator(アプリケーションのその他フォルダの中)を起動
  2. 新規作成でサービスを選択
  3. 「ユーティリティ」 > 「アップルスクリプトを実行」を選択し、左の領域にドラッグ&ドロップ
  4. 編集領域の上部にある「”サービス”は、次の選択項目を受け取る:」を「入力なし」に変更
  5. 編集画面に1の内容をペーストし、名前をつけて保存

3 キーボードショートカット割り当て

システム環境設定画面>「キーボード」 > 「ショートカット」 > 「サービス」を選択すると、2で登録したサービスが出てくるはず(出てこない場合はautomatorを再起動したりジタバタするとそのうち出てくる)。グローバルなので、被らないキーボードショートカットを割り当てて、おしまい。

自分はctrl+opt+command+F2で二分の一トグル、ctrl+opt+command+F3で三分の一トグルにして、場面に応じて使い分けてます。

4 参考にしたサイト

以下のサイトがなければ自分でもやろうとは思わなかったと思います。感謝します。

http://d.hatena.ne.jp/hiboma/20070221/1172052906
https://qiita.com/sfuta/items/e0bc567b816c6010d6ca

 

自由エネルギー原理はPhenomenalをどう扱うか

3月7、8日に開催さ入れた人工知能学会と協調的知能共同研究講座共催のシンポジウムで、乾敏郎先生の自由エネルギー原理についての発表を聞いた。三宅陽一郎さんから、昨秋出たばかりの乾先生のご著書『感情とはそもそも何なのか』をお勧めされて直ちに読んだ時のインパクト。そして、すでに読んでいた上であってなお、乾先生のトーク自体が非常に明晰かつダイナミックで、あらためて圧倒された。

学会全体を通じて感じ続けたこと。他の講演や発表もそうだったが、普段「哲学」の学会で話を聞いている自分からすると、制御されたフォーマットでデータを収集し解析して「こうと分かりました。(マル)」と出るのはやっぱり素朴に感動するし、そうした仕事に携わっている膨大な数の研究者達が、私たちの知識の限界を押し広げていってくれているのだということをつぶさに実感出来、込み上げてくるものがある。そして尊敬の念を新たにする。忘れちゃいけない。

そうした発表を聞きながら、ずっと、頭の中でこだましていた。「哲学はなにをやっているのか」。この大きな課題を忘れることなく進んでいきたいと思う。

さて。話を戻す。

最近の吉田正俊さんと田口茂さんの論文や、それを含む神経回路学会の特集、また1月に参加したCoRNなど意識研究のなかでどんどん目立つようになってきた自由エネルギー原理については、まだ自分でもよくわからない部分も多い。わからないなりに、疑問もあるのでメモとして残しておく。

1)手続き型記憶の無意識化について

運動生成してからのフィードバックで補正していたんじゃ間に合わない。遅延とノイズのせいだ。なので健常では同時に予測機構が働いている。ところが催眠状態や「させられ体験」では、運動生成だけ生じて予測側が働かない。だから、この予測機構が自己主体感(≒意識)を担っている。なるほど。

たしかにこれはいくつかの重要で特徴的な事例を説明する。したがって、それは(想定される水準の)意識にとって必要条件にはなっているだろう。だが、十分条件になっているか。

例えば習熟した習慣行動では、明らかに現象的意識は減退する。この場合も(というかこの場合こそ)、予測機構は走っていて十全に役割を発揮しているだろう。すると、「予測誤差を最小化すること」が意識だというよりも、「最小化できていない分だけ意識がある」と言いたくなる。少なくとも(意識を減算的に捉える)ベルクソンならそう言いたくなる。

この点に関連しては吉田・田口論文p.65で、系統・個体発生レベルではなく至近メカニズムという批判がすでにあって、それに対しては彼らのモデルはちゃんと後者を含んでいると応答されているが、であるならなおさらこの事例をどう説明するか伺ってみたい。

2) 発散するケースをどう説明するか

創造性の論点に関わる。例えば、文脈からあえて逸脱した無意味行動を取ってみたりできる。自分でもどうなるか分かってない、からこそやる。着地点(オチ)なしのイレギュラー言動。しかも意図的に。

普段の見え方を変えたい。その時に意図的に「見方を振る」わけだが、そうして得られる新しい洞察がどういうものか分からないし、そもそもそんなものが得られる保証もない、がやる。意図的に。

これに対して、FEPはあくまで原理であり、基本となる枠組みを提供するものという答えは、ありうると思う。

ベルクソンとしても、まずは(収斂的な)有用性原理としての「生への注意」が人間を含む生物全体の経験をデフォルトで制約していると考えている(知覚に対しても記憶に対してもこの原理が検閲として機能する)。他方で、これに拮抗する「拡張の努力」(あえて認知コストを上げる)ができるというのは、一部の高等動物に限られる。遊びや芸術や科学を可能にしたのはこれゆえと考えている。だから、たしかに進化的には二次的ではある(しかし個人的には個体への実装としては最初から組まないとダメという立場)。

3) 原理ではなく、機構としての実装はどうなってるのか

予測誤差最小化原理を仮定すると、非常に高い整合性でそれにフィットしたかたちで「記述」できる。これは素晴らしいことだと思う。

そこで浮かぶ素朴な疑問として、こうした予測機構が実際に発動する場面で、サプライズを増やすのではなく、維持するのでもなく、「最小化させる」ように制御する仕組みは、いったいどう実装されているのか。AIならそう書けばいい。脳ではどこに組まれているのか。制御を担う局所的な器官があるというのでなければ、進化の産物として脳全体の構造設計上の制約というかたちで実現しているという感じだろうか。

しかし、もし、人間において、予測誤差を意図的に最小化しない、あるいは場合によってはむしろ増やす方向に動くケースがあるとすると、この原理そのものをhard wiredというわけにはいかないだろう。他方でまた可変だとして、誰が変化させているのだろう。

ざっとこんな感じ。

最後に上の疑問に関連するとおもう表象と現象の区別。

意識という言葉を使う時に、representationalとphenomenalを区別しないと話が錯綜すると思う。これは自戒を込めて。たしかに、起源論的に辿った時に「(本来的)表象を獲得したところから意識が生じた」と仮定する立場にとっては、ちょうどその二つが共外延的になってしまうので潰れがちだが、概念としてはちがう(separatismを採るかかどうかはまた別)。

一方で、representationを持つということは、それを持たない(つまり環境とのactualなrelationだけでやっている生物)との対比であって、他方で、phenomenalを持つということは、intrinsicな性質をもつ(what it is likeを内的に享受している)ということで、両者は概念として独立。実際、relationalしか持たない原初的な生物がphenomenalを(もちろん相応に原初的なそれ)持つことも可能だし、representationを持つが phenomenalを持たないマシンも十分ありうる。(もちろんどちらも否定する「立場」はありえます。)

1で「(想定される水準の)意識」と書いたのはそのため。習慣行動でいくらゾンビ化しているといってもそこに「何らかの感じ」としてphenomenalはたしかに残存する。だがそれは心的に表象体験しているときのphenomenalと混同できないはず。脳内回路的には内部表象が走って機能していても、本人の現象的には表象は抱いていないケースがあるということ。

20190312追記:

その後、田口さん、吉田さん、島崎秀昭さん、@mambo_babさんからレスをいただいた。

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やりとりを通じて、お二人のアプローチの独創性もより見えてきたし、自分の疑問もクリアになった。
吉田ー田口論文は、会員向けだから入手しにくいけれども、吉田さんのブログでスライドなども公開されているので、そこからより詳細かつアップデートされた内容を見ることができますので、激しくお勧めします:
http://pooneil.sakura.ne.jp/archives/2019/02.php

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