ベルクソン抜粋:科学と哲学

 

要約しよう。私は形而上学と科学の間に方法の差異を主張するが、価値の差異は認めない。私は大多数の科学者ほど科学について謙虚ではない。経験に立脚した科学、すなわち近代の科学者が解するような科学は実在の本質に達しうると見ている。たしかに科学は実在の一部をしか把握しないかもしれない。しかしその根底に、科学はいつか触れるだろう。いずれにせよ、どこまでもそこへと接近していくだろう。したがって、科学はかつての形而上学のプログラムの一半をすでに満たしている。科学という名にこだわらない人なら、自らを形而上学者と称しても構わないくらいだ。しかし、実在のもう半分が残っている。こちらは同じく経験に依拠する形而上学に至当な権利として帰属する。この形而上学もまた絶対に達しうる。科学が実在の残りの部分に自らを留めなくても良いというなら、この形而上学のことを科学と呼んでもよいくらいだ。それゆえ、形而上学は実証科学の上に立つものではない。形而上学が科学の後からのこのこやって来て、同じ対象を研究して、より高度な認識を得るなどということがあるわけがない。そのような関係を想定することが哲学者たちの間でほとんど恒例のようになっているが、そんなことをすれば双方に害である。科学は相対的なものへと封じ込められることになるし、形而上学は仮説的で曖昧なものに過ぎないものになってしまうだろう。「序論(第二部)」『思想と動くもの』PM, 42-43.

 

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