2017年 4月 の記事

PBJ後援WS:ハイパー時間(エリー・デューリング+千葉雅也+近藤和敬)

PBJ(Project Bergson in Japan)『物質と記憶』のスプリット企画として、2015年の初回シンポにも登壇し、われわれの「拡張ベルクソン主義」の名付け親(彼とポール=アントワヌ・ミケルによるマニフェスト文も昨秋出版した『『物質と記憶』を解剖する』に所収)でもあるエリー・デューリングを招いて、4月29日土曜日に法政大学で開催しました。

昨年11月に開催された大規模なChose en soiワークショップの企画者のひとりである彼が自身のアイデアを語り、それに千葉雅也氏と近藤和敬氏が答えるというプログラム。たいへん盛況でした。千葉氏のacuteな、近藤氏のdeepな、また会場に見えた清水高志氏のsubtleな質問、そのほか多くの議論が飛び交い、時間切れまで密度の高い異なる持続の異質的共存が会場を満たしていました。本体である『物質と記憶』PBJも今年度が最終年度。しっかり形にしていきたいと思います。

エリー発表原稿の配付は出来ませんが、参考のため「プレ要旨」をごく簡単に訳したものはこちら。引用文などは訳出していません。

デューリング プレ要旨簡易訳(平井)

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応用哲学会WS:〈意識の遅延テーゼ〉の行為論的射程——神経科学と人工知能研究による「拡張ベルクソン主義」アプローチ

4月22日(土)に応用哲学会@福山平成大学にてワークショップ提題。

20170430追記:三宅さんのスライドが公開されています。https://www.slideshare.net/mobile/youichiromiyake/ss-75448140

以下、ワークショップ要旨。

〈意識の遅延テーゼ〉の行為論的射程
——神経科学と人工知能研究による「拡張ベルクソン主義」アプローチ

平井靖史(福岡大学人文学部)
太田宏之(防衛医科大学校医学教育学部)
三宅陽一郎(日本デジタルゲーム学会理事)

 

ベルクソンの『物質と記憶』は、心の哲学に時間論からアプローチするという戦略で執筆された、彼の哲学的主著である。専門の研究者の間でも十分な受容がなされてきたとは言い難いこの書物について、2015年以降、現在の心の哲学および意識の科学のうちに文脈化することで、その理論的可能性を包括的に再検証しようとする試みがなされてきている。

今回のワークショップでは、この試みにおいてその中心的な意義が明らかになりつつある二つのテーゼをとりあげ、これらが「行為」の理解にどのような貢献をもたらしうるかを論じたい。ベルクソンのアイデアに対して神経科学と人工知能研究の分野から検討をおこなうことで、論点の具体化・精緻化を図り、より生産的な議論枠組みを整備することで広く諸分野の研究者からのコメントを仰ぎたいと考える。「拡張ベルクソン主義」のポリシーに基づくため、目的はテキストの擁護ではなく、心と行為を、時間を通じて理解するためのモデルの提示と洗練である。

問題となるベルクソンのテーゼは以下の二つである。

  1. 意識の遅延テーゼ:意識の出現を、反応遅延によってシステムが獲得する時間的延長およびそれによる相対的な情報圧縮の効果として捉える。
  2. 持続の多元論:均質的な絶対時間を否定し、異なる時間単位を有する諸システムの輻輳的共存から知覚や行動の諸特性を導出する。

 

はじめに、ベルクソン研究者である平井から、各テーゼとその相互連関についての簡略な提示を行う。ベルクソンのアプローチが際立つのは、意識がどのようなものであるかの本性の究明には、意識がどのようにして生じるかという進化論的・発生論的観点が不可欠とみなす点である。比較生物学的見地から、棘皮動物から脊椎動物にいたる生物知覚を、環境に対する入出力システムの時間構造における変容としてとらえる(持続の多元論)。有機身体システムの複雑化が、その代償として要した遅延=時間的延長が、意識の質料的条件となっていると考えるのである(遅延テーゼ)。

さて、身体の有機組織化がもたらした時間的猶予は、環境に対する行動反応が並列的に多元化すること、および脳内での多様な編成を許す(「生まれかけの反作用」)。それは、以下の二つの点で、認識と行動の質を大きく変えたと考えられる。すなわち、環境刺激をリアルタイムの要求に応じてより柔軟かつ微細に分節することが、いわゆる表象的な認知を準備する点(「運動図式」)、そして、一つの選択行動を遂行中にも、同時並列的に他の身体行動への準備運動を賦活しておくことが出来る点(「有機的組織化」)、である。

 

神経科学者である太田からは、基底核を中心とした運動行動出力の遅延制御とその時間的多層性について報告してもらう。

トノーニとマッスィミーニは、脳内の各部位の活性化のタイミングのずれ・遅延が存在する場合に、情報の量と統合性が高い水準で両立する(意識として現出する)ことを指摘し、したがって大局的にはベルクソンの遅延テーゼに相当する主張を行っているものと捉えられる。

しかし太田はこの主張には矛盾が存在することを指摘する。活性化タイミングの遅延は脳波を用いて同定されるが、その解析対象となる脳部位は膨大な数の神経細胞から構成される。脳波の信号はその膨大な数の神経細胞の同期発火があって初めて成立する。つまり、部位内の大域的同期が情報の単位とされており、これは非同期性を基底とする主張と矛盾する。

代わりに、太田は個々の神経細胞の発火レベルで遅延が存在することを指摘する。そして皮質-基底核-ドーパミン系においてその個々の遅延の調整によって、時間的に様々に縮約された感覚-運動対の発現が制御されていることを紹介する。これは我々の選択を同期に基づいて成立する表象間の状態遷移として描くモデルに反省を強いるものであり、一つの身体において運動出力を行うという意味で、多層の持続リズムが溢れつつも収縮を余儀なくされるモデルへと我々を導く。

 

ゲーム人工知能研究を専門とする三宅からは、遅延条件の批判検討と、遂行中の行為が多元的である必要性について、構成論的アプローチの所見を交えた報告がなされる。バーチャルにではあれすでに運動出力可能な身体を有したゲーム人工知能の研究は、意識や知覚にたいする行動の影響について極めて有益な示唆を持つ。

さて、三宅は現行製品においてすでに、ベルンシュタインの知見を踏まえつつ、階層化されたサブサンプション・アーキテクチャをキャラクター身体のうちに実装している。しかしながら、階層的な遅延を積み重ねているとは言え、現行の人工知能のモデルでは反射層の実装でしかない。したがって、意識の発生には、単に遅延をともなう階層構造だけではない条件を同定する必要がある。

意識は世界の情報を受け取る感受の主体であると同時に、行為の主体ともなる。そこで注目するのが、諸行為間の移行の滑らかさの問題である。第二提題が示すように、人間において、身体行動レベルの出力はその立ち上げに秒単位の時間スケールを要する。したがって、ある選択行為を遂行中にも、背景的には複数の行動プランが同時並行的に計画されており、それらが自身の実行機会の獲得に向けて競合しているからこそ、行動プランから行動プランへの滑らかな遷移が遂行されるものとなると考えられるのである。多元的な準備運動が、時間スケール上の制約によって刈り込まれ、場合によっては融合や再編成を被りながら、その都度の現実的行動を出力するこのプロセスに、自己主体感の成立を見いだすことが出来るかもしれない。