『現在という謎』シンポジウム終了

大変刺激的な研究会でした。
考えてみれば、時間の哲学をやっているものにとっては物理を学ぶことは「仕事」の一部な訳ですが、物理学者の方々にとって時間の哲学は本来の意味での「仕事」に含まれていない作業なわけで、にもかかわらず貴重な時間を割いてお付き合いいただいたばかりか非常にエレガントな発表をしていただけた谷村さんと大河内さんのお二方には、格別に感謝申し上げたい気持ちです。

谷村さんのウェブサイトで、執筆記事一覧を拝見して、多くの記事を読ませていただいていることに遅まきながら気づいたり。自分が授業でもよくする時計の計測が何をやっているのか問題——時間単位同士の等間隔は計測によるのではなく要請によるという話も、たいへんエレガントで参考になった。教科書的な話と謙遜されていたが、短い時間で古典物理から解析力学、熱力学、特殊相対論と、本質を流れるように押さえたプレゼンで、並大抵の包括力ではないことは素人でも分かる。やはり、気になるのが計測の基礎的なグラウンディングで等間隔の「知覚」に訴えることは、掘り下げて聞いてみたいところ。
大河内さんのスライドが動画満載なのに口頭の説明がそのタイムラインにドンピシャでハマっていくのに鳥肌ものだった。あんな授業してみたいけど、無理だろうな〜。いままでちゃんと考えたことがなかったけど、準安定状態。そんなものが純粋に物理的な状態のうちにあるわけで、この辺はベルクソン生きてたら何を言っただろう、と考える。これも時制ではなく相の話なはずで、相当面白い。

インド仏教の時間論が、まさかの現在主義+延続説など、こうした学際シンポならではの目から鱗の発見もありました。

佐金さんの現在主義がご著書を読んでいるだけでは見えなかった部分でかなりつかめたのは嬉しかった。変化の理論としての現在主義。ベルクソンの過去も現在と共存だから、この意味では現在主義になる。それでも違うのは、やはり本性の違い=ハイブリッド性か。純粋記憶。
森田さんの発表はまさに物理と哲学が半々入った議論で、さすが!
三宅さんの発表はプリゴジンとベルクソンとつなぐかなり重要なもので相当資料豊富で、殺意を感じた。時間のために4−2の時間の矢の多様性と、続く普遍性を飛ばされていたのが惜しまれる。

自分の発表準備の過程でも、色々と収穫があり。空間化批判では、持続のそれよりも「物質の空間化」批判の方が、〈持続の多元論〉や〈直接実在論(純粋知覚)〉そして〈時間化された汎心論(物質に持続を認める)〉を準備する相当に重要な役割を果たしているんじゃないか。本田裕志さんの本は非常に役立った。

また、PBJシンポでも触れたが、本性の差異っていうのが現実性/潜在性と未完了/完了では、また区分がズレるので、これら二つの二元論が混在している点をちゃんと見極めることが今後の議論にとって不可欠だという思いを強くした。課題が多い。どんどん進めなければ。
森田さん、提題者・コメンテーターの皆さんありがとう。
10月末に時間学研究所論文。
11月上旬にPBJのMMシンポ。
11月下旬に時間学研究所での発表、質的計測と時間クオリアについて。
そして12月この空間化シンポ。
全部大物だったので結構たいへんだったけれども、手は抜けなかった。面白い。
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