9月のベル哲研での発表

ベルクソンの様相概念の特異性について話しました。

第一に、現実主義。つまり、可能性は表象に属するものにすぎず、実在性を持たないという点。

第二に、様相が、時点依存的である、あるいは同じことですが、通時的にはダイナミックに再編可能なものである、という論点。ベルクソンにおいては、時間性temporalityと様相modalityの主従関係が、ライプニッツに見られるような典型的なそれを逆転させたものとなっている。様相は時間を超出したものではなく時間に従属したものである。時間の方こそが、様相を超出している。つまり、何かが可能であるとか必然的であるとかは、超時間的に真理であるわけではなく、時点によりその真理値を変える、ということ。

これ、さりげないけど、すごい論点だと思うんだけどなあ。とりわけ、この二つが組み合わさってるってところが。

普通、現実主義のかかえる難点とされる、エイリアン概念。可能性が現実から独立に存在するものではなく、現実主義の言うように、現実に所与である諸要素からの分解再構成であるならば、まさにその仮定によって「そうした複合によって構成されえないが、可能であるようなもの(エイリアン)」を、現実主義は説明することができない。

ところが、よく考えてみると、これが現実主義にとって弱点であるのは、それが上の第二点に関して、時間超越的な様相概念を維持している場合に限られる。そして、ベルクソンは、現に、この論点を逆手にとって、エイリアン概念の説明不可能性というネガティブな帰結を、様相を超出した時間の実効性を示すものとして、みずからの立場に有利なものとしてしまう。実際、ある時点で、可能なものの総体の中に含まれないような事柄が、後の時点において実現する!つまり、t1において不可能だったことが、t2において実現する。そして実現することによって、可能なものとして認定される(可能性の全体が書き換えらえる)。こうして、不可能が可能「になる」、時間を通じて。

だから、ある時点において可能なものとして知性のうちに包括できないような事柄が、将来生じるということは、むしろ時間の産出性・創造性を示すものであり、それが可能性の全体を拡張的な仕方で更新することを知性に要求するのだ、という。

 

 

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